「浄土真宗のみ教え」についてのご親教

 

 本年も、皆さまと共に立教開宗記念法要のご勝縁に遇わせていただきました。立教開宗とは親鸞聖人が『教行信証』を著して他力の念仏を体系的にお示しになり、浄土真宗のみ教えを確立されたことをいいます。この法要をご縁として、私たちに浄土真宗のみ教えが伝わっていることをあらためて味わわせていただきましょう。

 さて、仏教を説かれたお釈迦さまは、諸行無常や諸法無我という言葉でこの世界のありのままの真実を明らかにされました。この真実を身をもって受け入れることのできない私たちは、日々「苦しみ」を感じて生きていますが、その代表的なものが「生老病死」の「四苦」であるとお釈迦さまは表されました。むさぼり・いかり・おろかさなどの煩悩を抱えた私たちは、いのち終わるその瞬間まで、苦しみから逃れることができません。

  このように真実をありのままに受け入れられない私たちのことを、親鸞聖人は「煩悩具足の凡夫」と言われました。そして、阿弥陀如来は煩悩の闇に沈む私たちをのそままに救い取りたいと願われ、そのお慈悲のお心を「南無阿弥陀仏」のお念仏に込められてはたらき続けてくださっています。

 ご和讃に「罪業もとよりかたちなし 妄想顚倒のなせるなり」「煩悩・菩提体無二」とありますように、人間の分別がはたらき出す前のありのままの真実に基づく如来のお慈悲ですから、いのちあるものすべてに平等にそそがれ、誰一人として見捨てられることなく、そのままの姿で摂め取ってくださいます。

 親鸞聖人は「念仏成仏これ真宗」(『浄土和讃』)、「信は願より生ずれば 念仏成仏自然なり 自然はすなはち報土なり 証大涅槃うたがはず」(『高僧和讃』)とお示しになっています。浄土真宗とは、「われにまかせよ そんまま救う」という「南無阿弥陀仏」に込められた阿弥陀如来のご本願のお心を疑いなく受け入れる信心ただ一つで、「自然の浄土」(『高僧和讃』)でかたちを超えたこの上ないさとりを開いて仏に成るという教えです。

 阿弥陀如来に願われたいのちと知らされ、その温かなお慈悲に触れる時、大きな安心とともに生きていく力が与えられ、人と喜びや悲しみを分かち合い、お互いに敬い支え合う世界が開かれてきます。如来のお慈悲に救われていく安心と喜びのうえから、仏恩報謝の道を歩まれたのが親鸞聖人でした。私たちも聖人の生き方に学び、次の世代の方々にご法義がわかりやすく伝わるよう、ここにその肝要を「浄土真宗のみ教え」として味わいたいと思います。

 

      浄土真宗のみ教え

   南無阿弥陀仏

   「われにまかせよ そのまま救う」の 弥陀の呼び声

   私の煩悩と仏のさとりは 本来一つゆえ

   「そのまま救う」が 弥陀のよび声

   ありがとう といただいて

   この愚身をまかす このままで

   救い取られる 自然の浄土

   仏恩報謝の お念仏

 

   み教えを拠りどころに生きる者 となり

   少しずつ 執われの心を 離れます

   生かされていることに 感謝して

   むさぼり いかりに 流されず

   穏やかな顔と 優しい言葉

   喜びも 悲しみも 分かち合い

   日々に 精一杯 つとめます

 

 

 来る2023(令和5)年には親鸞聖人御誕生850年・立教開宗800年慶讃法要をお迎えいたします。聖人が御誕生され、浄土真宗のみ教えを私たちに説き示してくださったことに感謝して、この「浄土真宗のみ教え」を共に唱和し、共につとめ、み教えが広く伝わるようお念仏申す人生を歩ませていただきましょう。なお、2018(平成30)年の秋の法要(全国門徒総追悼法要)の親教において述べました「私たちのちかい」は、中学生や高校生、大学生をはじめとして、これまで仏教や浄土真宗にあまり親しみのなかった方々にも、さまざまな機会で引き続き唱和していただき、み教えにつながっていくご縁にしていただきたいと願っております。

                              

                            2021(令和3)年4月15日 

                                           浄土真宗本願寺派門主  大 谷 光 淳