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正教寺の沿革

 当時、浄土真宗道場の監觴は、後土御門天皇治世、文明3年2月16日山徒の暴難にあって大谷の御坊炎上し、その時に下間安藝の法眼、佐々木如光御真影を奉じて、江州大津三井寺南別所近松に御仮居の時、実如上人より帰敬式を受け、法名信證となる。

 当山開基信證の俗性は、百三代後柏原天皇永正元年(1465)〈堅田日記には寛正6年正月とある〉、播州姫路之城主酒井雅樂末孫、本多肥後守子孫、佐藤主悦・藤原正行と言い、同年上杉・川越合戦があり、同年2月上杉和睦出城したため、その後、上求菩提発心の身となり、一子作之進を連れて京都へ上り、堀川通本願寺第九世権大僧都実如上人の弟子となり、剃髪染衣の身となる。その時、龍正寺信證と御下付される。

 その後。諸国行脚している内に当国に下りて、長州厚狭郡西須恵郷村内石藤尾浜辺に居住する。御法義の御引立て厚く、須恵村その外の地に御化導いたしていたところ、一同帰依歓喜して、永正6年(1509)3月19日に願い出通り、長澤高尾南所御立山松木15本切り取りを許可された。

 然し、永正9年(1512)3月開基信證入寂(82歳)のため、その子作之進(47歳)剃髪染衣の身となり信敬と改名し、同10年4月9日父の遺志を継いで道場を建立する。

 永正14年(1517)西須恵村片山に移し、同年12月に上ノ台に移り仏閣を再建した。

              (正教寺文書による)



正教寺歴代住職

●開 基〈信 證〉・文明3年(1471)2月20日住職許可

 永享2年(1430)出、永正9年3月19日(1512)寂

●第2世〈信 敬)・天正12年(1584)3月20日寂

●第3世〈玄 徳〉・寛文4年(1664)3月8日寂

●第4世〈正 玄〉・元禄13年(1700)3月8日寂

●第5世〈正 隆〉・元文3年(1738)4月11日寂

●第6世〈恵 山〉・享保6年(1721)11月21日寂

●第7世〈寛 冷〉・明和3年(1766)11月21日寂

●第8世〈義 諦〉・天明3年(1783)9月17日寂

●第9世〈泰 巌〉・文政12年(1829)10月16日寂

●第10世〈泰 城)・慶応2年(1866)9月15日寂

●第11世〈徳 巌〉・弘化4年(1847)3月17日寂

●第12世〈和 顔〉・明治5年(1872)2月26日寂

●第13世〈得 雄)・大正3年(1914)11月12日寂

●第14世〈ヒゾウ〉・昭和10年(1935)3月8日寂

 ※漢字フォントなし

●第15世〈正 慶)・昭和19年(1944)1月27日寂

●第16世〈龍 正〉・前住職

●第17世〈香 紀)・現住職

 

 


浄土真宗の教章(私の歩む道)


【宗 名】浄 土 真 宗

 

【宗 祖】親 鸞 聖 人

  (ご開山)

   ご誕生

    1173年5月21日(承安3年4月1日)

   ご往生

    1263年1月16日(弘長2年11月28日)

 

【宗 派】浄土真宗本願寺派

 

【本 山】龍谷山 本願寺(西本願寺)

 

【本 尊】阿弥陀如来(南無阿弥陀仏)

 

【聖 典】

  ・釈迦如来が説かれた「浄土三部経」

  『仏説無量寿経』『仏説観無量寿経』

  『仏説阿弥陀経』

 

  ・宗祖親鸞聖人が著述された主な聖教

  『正信念仏偈』(『教行信証』行巻末の偈文)

  『浄土和讃』『高僧和讃』『正像末和讃』

 

  ・中興の祖 蓮如上人のお手紙

  『御文章』

 

【教義】

阿弥陀如来の本願力によって信心をめぐまれ、念仏を申す人生を歩み、この世の縁が尽きるとき浄土に生まれて仏となり、迷いの世に還って人々を教化する。

 

【生活】

親鸞聖人の教えにみちびかれて、阿弥陀如来の み心を聞き、念仏を称えつつ、つねにわが身をふりかえり、慚愧と歓喜のうちに現世祈祷などにたよることなく、御恩報謝の生活を送る。

 

【宗門】

この宗門は、親鸞聖人の教えを仰ぎ、念仏を申す人々の集う同朋教団であり、人々に阿弥陀如来の智慧と慈悲を伝える教団である。それによって、自他ともに心豊かに生きることのできる社会の実現に貢献する。

 

 

 

 

ご親教                       念仏者の生き方


 仏教は今から約2500年前、釈尊がさとりを開いて仏陀となられたことに始まります。わが国では、仏教はもともと仏法と呼ばれていました。ここでいう法とは、この世界と私たち人間のありのままの真実ということであり、これは時間と場所を超えた普遍的な真実です。そして、この真実を見抜き、目覚めた人を仏陀といい、私たちに苦悩を超えて生きていく道を教えてくれるのが仏教です。

 仏教では、この世界と私たちのありのままの姿を、「諸行無常」と「縁起」という言葉で表します。「諸行無常」とは、この世界のすべての物事は一瞬もとどまることなく移り変わっているということであり、「縁起」とは、その一瞬ごとにすべての物事は、原因や条件が互いに関わりあって存在しているという真実です。したがって、そのような世界のあり方の中には、固定化した変化しない私というものは存在しません。

 しかし、私たちはこのありのままの真実に気づかず、自分というものを固定した実体と考え、欲望の赴くままに自分にとって損か得か、好きか嫌いかなど、常に自己中心の心で物事を捉えています。その結果、自分の思い通りにならないことで悩み苦しんだり、争いを起こしたりして、苦悩の人生から一歩たりとも自由になれないのです。このように真実に背いた自己中心性を仏教では無明煩悩といい、この煩悩が私たちを迷いの世界に繋ぎ止める原因となるのです。なかでも代表的な煩悩は、むさぼり・いかり・おろかさの三つで、これを三毒の煩悩といいます。

 親鸞聖人も煩悩を克服し、さとりを得るために比叡山で20年にわたりご修行に励まれました。しかし、どれほど修行励もうとも、自らのちからでは断ち切れない煩悩の深さを自覚され、ついに比叡山を下り、法然聖人のお導きによって阿弥陀如来の救いのはたらきに遇われました。阿弥陀如来とは、悩み苦しむすべてのものをそのまま救い、さとりの世界へ導こうと願われ、その願い通りにはたらき続けてくださっている仏さまです。この願いを、本願といいます。我執、我欲の世界に迷い込み、そこから抜け出せない私を、そのままの姿で救うとはたらき続けてくださる阿弥陀如来のご本願ほど、有り難いお慈悲はありません。しかし、今ここでの救いの中にありながらも、そのお慈悲ひとすじにお任せできない、よろこべない私の愚かさ、煩悩の深さに悲嘆せざるをえません。

 私たちは阿弥陀如来のご本願を聞かせていただくことで、自分本位にしか生きられない無明の存在であることに気づかされ、できる限り身を慎み、言葉を慎んで、少しずつでも煩悩を克服する生き方へとつくり変えられていくのです。それは例えば、自分自身のあり方としては、欲を少なくして足ることを知る「少欲知足」であり、他者に対しては、穏やかな顔と優しい言葉で接する「和顔愛語」という生き方です。たとえ、それらが仏さまの真似事といわれようとも、ありのままの真実に教え導かれて、そのように志して生きる人間に育てられるのです。このことを親鸞聖人は門弟に宛てたお手紙で、「(あなた方は)今、すべての人びとを救おうという阿弥陀如来のご本願のお心をお聞きし、愚かなる無明の酔いも次第にさめ、むさぼり・いかり・おろかさという三つの毒も少しずつ好まぬようになり、阿弥陀仏の薬をつねに好む身となっておられるのです」とお示しになられています。たいへん重いご教示です。

 今日、世界にはテロや武力紛争、経済格差、地球温暖化、核物質の拡散、差別を含む人権の抑圧など、世界規模での人類の生存に関わる困難な問題が山積していますが、これらの原因の根本は、ありのままの真実に背いて生きる私たちの無明煩悩にあります。もちろん、私たちはこの命を終える瞬間まで、我欲に執われた煩悩具足の愚かな存在であり、仏さまのよう執われのない完全に清らかな行いはできません。しかし、それでも仏法を拠りどころとして生きていくことで、私たちは他者の喜びを自らの喜びとし、他者の苦しみを自らの苦しみとするなど、少しでも仏さまのお心にかなう生き方を目指し、精一杯努力させていただく人間になるのです。

 国の内外、あらゆる人びとに阿弥陀如来の智慧と慈悲を正しく、わかりやすく伝え、そのお心にかなうよう私たち一人ひとりが行動することにより、自他ともに心豊かに生きていくことのできる社会の実現に努めたいと思います。世界の幸せのため、実践運動の推進を通し、ともに確かな歩みを進めてまいりましょう。

             2016(平成28)年10月1日

               浄土真宗本願寺派門主

                    大 谷 光 淳